月別アーカイブ: 2016年12月

U―18 国内外強豪と対戦、糧に

161229yamp国内外のユース(高校生)年代の有力8チームが競うサッカー大会「Jリーグインターナショナルユースカップ」は12月21、22、24、25日、長野市の2会場で開いた。昨年に続き2度目の開催。10~11月のJユースカップJリーグユース選手権4強の実績で初出場した松本山雅U-18は、7位だった。
Jユース杯4強と、海外から招いた4チームが出場。国内と海外が2チームずつになるよう2組に分けて、組内で総当たり。その後、両組の1~4位同士が対戦して、最終順位を決めた。
山雅は3年生が引退し、新チームとなって初の公式戦。Jユース杯覇者で、夏の日本クラブユース選手権(U-18)大会も制したFC東京U-18との初戦(21日)は、飛び級でU-19日本代表に選ばれた中学3年生のFW久保建英選手に2点を奪われ、0-3で完敗した。
その後は海外勢との2試合にも敗れ、グループ最下位。7、8位決定戦は、同じJユース杯4強の京都に3-2で競り勝った。
山雅の臼井弘貴監督(36)はFC東京戦の後、個の力と経験の差を指摘。走力など通用した点はあるとし、「格上との経験をもっと重ねていかなくては」と、チームづくりを見据えた。
フィゲレンセ(ブラジル)が優勝。2位は釜山アイパーク(韓国)、3位はFC東京だった。

現役引退 鐡戸に聞く決断への思いと今後

161215yamp今季最後の試合となった11月27日のプレーオフ準決勝後、鐡戸裕史(34)が現役引退を表明した。北信越リーグ1部だった2009年途中から在籍するチーム最古参でJFL、J2、J1と3度の昇格に貢献した“レジェンド”は、来季からクラブのスタッフになる。選手生活を振り返ってもらいながら、現在の思いや今後について聞いた。

-引退を決めた今の気持ちは。
悔いが残らないように-との思いを持ってやってきたが、実は気持ちの整理がつかない。僕はエリートではなく、選手生活もアマチュア契約からのスタート。ようやくつかみ取ったプロへのこだわりもあり、自ら幕を引くのは勇気が要った。
-決断した決め手は。
試合出場を目指すのは当然だが、出られなくても練習に取り組む姿勢や裏方などで良い影響を与えられるなら、存在価値があると思いやってきた。来季もやれる自信はあるが、試合に出る機会が減っている自分にどれだけ説得力があるのか悩み、これ以上は難しいと思った。
-移籍して現役を続ける選択は。
ユニホームを脱ぐなら山雅でと決めていた。練習も多くの人が見に来て応援してくれる。これほどやりがいのある環境は他にない。
-山雅でプレーして印象に残ったことは。
たくさんあるが、加入初年は大きなシーズンだった。Jから地域に来て、チームの雰囲気や環境などギャップに悩んだ。「ここで負けたら先がない」という試合が続き、綱渡りのようだった。それまで以上に一日、一瞬に全力で臨むことを心掛け、自分も成長した。
JFL昇格を懸けた全国地域リーグ決勝大会決勝ラウンド最終戦(09年12月6日)はアルウィンの観客が1万人を超え、その光景は今でも鮮烈に覚えている。地域で1万人なんて、ちょっと信じられなかった。この熱を冷まさずJに持っていきたい、この人たちのためにも持っていかなければと強く思った。
-スタッフとして山雅や地域とどう関わっていくか。
具体的な仕事はまだ決まっていないが、指導、営業、経営などいろいろなことを学んで経験したい。チームと会社の一体感をより強くしたり、ファンやスポンサーなど地域を大事にしたりする、その象徴になりたい。どんな仕事でも、その力になれればいい。
(長岩将弘)

来季こそ サポーターやボランティアの思い

J1再昇格はならなかったが、今季もホーム競技場のアルウィンには1試合平均1万3631人のファン・サポーターが詰めかけて声援を送り、1試合当たり約120人のボランティアがスタジアムの運営を担った。それぞれの代表や関係者に思いを聞いた。

【サポーター「ウルトラスマツモト」コールリーダー 新関孝典さん】
悔しいシーズンでした。選手や監督、コーチ、スタッフ、みんなものすごい努力をして、あれだけの勝ち点を取ったのに、報われないなんて。
でも、けが人が続出する中、チーム全員で乗り越えたこと、そして若手からヒーローが生まれたことがうれしかったですね。
今季は、これまでで一番安定感があったのでは。序盤こそ新たなスタイル構築の過程で苦しみましたが、そこを耐えたらきちんと結果が出て、反町監督はすごいなと。
監督はいろんな覚悟を決めて、来季も引き受けたと思います。僕らもその覚悟に応えたいし、反町監督を男にしたい。勝ち点につながるように、声援を送ります。
山雅の魅力の一つは「温かさ」です。対戦相手のサポーターとも一緒に楽しむ。讃岐戦限定のチャント「釜玉より蕎麦(そば)」はその代表例。JFLの時は「松本ぼんぼん」を歌いました。勝ち負けだけではない楽しみ、ゲーム以外の楽しみをどんどんスタジアムにつくり出したい。
実は、幻になったJ1昇格プレーオフ決勝で、ある演出を用意していました。それは来季まで温めておきます。“その時”が来たら、観客の皆さん、ぜひ協力してください。

【試合運営ボランティア「チームバモス」代表豊岡圭さん】
1年で降格した次のシーズン。われわれにとっても大変でしたが、実りあるシーズンでした。
観客もボランティアも昨季より減るのは避けられないと思っていましたが、観客は一昨季を上回り、ボランティアも昨季とほぼ同数。さまざまなイベントや企画を仕掛けたクラブの努力のたまものだし、われわれの自信にもなりました。
ボランティアは14年以降、1シーズンの延べ参加人数は2480人ほどで、ほぼ変わりません。ただ、ボランティアの人数が少ない試合に、想定以上の観客が詰め掛けると大変です。今季もそういうケースがありました。
昨季はJ1を経験。ボランティアは、この人数を維持するのか、さらに参加者自体を増やしていくのか-。クラブとも連携して精査し、どうすれば力を発揮できるか、先を見据えて考えるべき時に来ているのかなと感じます。
ただ、カテゴリーがどこであれ、目指すのは入場から退場までを「当たり前」に過ごしてもらうこと。スムーズな着席や再入場、仕事の効率的な役割分担など、今年の経験を糧に、基本的な部分をよりステップアップさせたいと思っています。

【Jへの種まいた2人・高橋耕司さんと小林克也さん】
「トップチームがどのカテゴリーにいても、山雅が地域でやるべきことは変わらない」
山雅のJリーグ入りを最初に目指し、行動を起こした高橋耕司さん(53、松本市蟻ケ崎)と小林克也さん(53、同市里山辺)は「J1に再昇格できなかったのはショック」としながらも、「原点である“地域への感謝”をこれからも形にしていく」と口をそろえる。
2人は高校時代からの親友。アマチュア期の山雅でプレーし、チームが北信越リーグで低迷した2000年ごろ、指導者として二人三脚で立て直しを図る中で、プロ化を模索した。
「まずは地域貢献を」と03年、子どもにサッカーを教える「育成部」を立ち上げ、園児~中学生45人で出発。最初のサポーターとして現在のゴール裏をつくった疋田幸也さん(41)にチームの応援を頼み、高校の後輩で後にクラブ運営団体の初代責任者を務めた八木誠さん(51)ら若手経営者にスポンサー獲得など資金集めを依頼。Jリーグ入りの種をまいた。
その後は元プロ選手や専門家にチームの指揮とクラブ運営を任せ、黒子として支えながら育成を担い、現在は山雅の小学生チームとサッカースクールを運営するNPO法人「松本山雅スポーツクラブ」の理事長と副理事長としてコンビを組む。「ビッグクラブではない山雅がJで生き残るには、自前の選手を育てるしかない」(小林さん)
また、「1人でも多くの人に山雅に触れてもらうことで、地域に根差せる」(高橋さん)と、今後は総合型スポーツクラブを目指し、サッカー以外の競技や、市民の健康づくりにつながる運動の普及に乗り出す。
11月に始めた「親子運動教室」は、幼児の運動神経の発達を促し、サッカーに限らず一流の競技者が育つ環境づくりが目的。トップチームが地域を挙げて応援されるようになった今、「山雅はこのまちで何ができるか」を問い、形にしていく。
(取材班)

J1へあと一歩 勝ち点は自動昇格の一昨季上回り

1年でJ2に降格した悔しさを晴らすべく、J1再昇格を掲げて戦った今季の山雅。新たな攻撃の形をものにして最終盤まで昇格争いを繰り広げながら、最後に生命線の堅守が崩れてJ1にあと一歩届かなかった。ただ、積み上げた勝ち点は2位で自動昇格した一昨季を上回り、来季への希望を十分に感じさせる戦いぶりだった。
反町監督が当初から「どんなクラブも降格した翌シーズンは、いろいろな意味で難しい」と漏らしていたように、結果的にハードルは高かった。
山雅は、資金力や豊富な戦力でJ1に返り咲けるビッグクラブではなく、一方でサポーターの期待は高く、重圧もあった。
降格で主力の一部は抜けたが、シュミットや宮阪ら穴を埋める選手を加えて戦力低下を阻止。オビナの離脱で3月に高崎を緊急獲得し、夏の移籍期間にはパウリーニョと三島が加入。シーズン途中に弱点やけが人をカバーする補強にも成功した。
J1で通用しなかった昨季の経験から、今季は縦への速さやセットプレーでの得点力、堅守、走力といった従来の強みを持ちつつ、パスをつないで主体的に相手を崩す新たな攻撃の形に挑戦。
序盤は新スタイルを確立できず、6節まで1勝3分け2敗で中~下位をさまよったが、「思ったより早く形になった」と指揮官が振り返る通り、7節から3連勝で急浮上。14~23節は9勝1敗と中盤戦で波に乗り、一昨季と同じ22節で自動昇格圏内の2位に。25~40節はクラブ新記録の16試合無敗とした。
オビナや安藤、6月から約3カ月間チームを離れた田中ら、主力にけが人が相次いだが、代わって出番を得た飯尾や那須川らが予想以上に活躍。シーズン途中に加わった選手も力を発揮し、「誰が出ても遜色ない」(高崎)層の厚さで乗り切った。
最後の過密日程となった38~40節は無失点で3連勝。40節を終えた時点で首位札幌と勝ち点で並び、得失点差1で2位と優勝に手が届く位置に。
全てが狂ったのは前半の2失点で敗れた次節の町田戦。今季大きく手を入れずに質を高め、実際に機能もしてきた守備がここから揺らぐ。最終節の横浜FC戦、岡山と争ったプレーオフ準決勝も、先制を許して複数失点する展開を繰り返した。
特に年間3位で回ったプレーオフは、6位の相手と引き分けても決勝進出という状況で、後半ロスタイムに勝ち越される「これまで何度もあった」(岩間)詰めの甘さを露呈。今季リーグ最少失点ながら、土壇場で踏ん張りが利かなかった。
ただ、1日に行った今季最後のミーティング後、反町監督は「勝ち点84は胸を張っていいと選手に伝えた。目標は達成できなかったが、チームとして新たなことに取り組み、充実していた」と、手応えも口にした。
指揮官は5日、「いばらの道は覚悟の上で、もう一度チャレンジしたい」と、来季の続投を表明。収穫を結果に結びつけるべく、「今季の上をいくチーム」をつくる戦いを始めた。
(長岩将弘)

反町監督続投へ「昇格へ意地、今季の上を行くチームを」

161208yampサッカーJ2松本山雅FCの反町康治監督(52)が、就任6年目となる来季もチームの指揮を執ることが決まった。今季の山雅は1年でのJ1返り咲きを掲げて戦ったが、最終盤でつまずき、惜しくも昇格はならず。反町監督の下、来季再びJ1昇格に挑むことになる。
反町監督は5日、松本市並柳のクラブ運営会社事務所で会見。「本来の目標には届かなかったが、その後、会社やファン、サポーターの真摯(しんし)な思いを受け止めた」とし、「松本を離れることは簡単だが、私にもクラブにも意地がある。いばらの道は承知の上で、もう一度チャレンジしたい気持ちに至った」と説明した。
来季のチームづくりについては「具体的なことはまだ何も描いていない」としながら、「今季の上を行くチームをつくり上げなくては目標は達成できない。それに向かい、まい進していくだけ」と、決意を話した。
クラブ側は監督の手腕を高く評価。強化の継続性も重視し9月に続投を要請したが、監督は「シーズンの戦いに集中したい」と、回答を保留していた。
今季は自動昇格圏内の2位を終盤まで維持したが、リーグ最終戦を残し3位に後退。そのまま2位・清水エスパルスに得失点差で逃げ切られると、最後の昇格枠を懸けて臨んだプレーオフ初戦では、ファジアーノ岡山に後半ロスタイムの失点で敗れた。
あと一歩で昇格を逃した衝撃は大きかったようで、今季最後のチームミーティングがあった1日の取材では「放心状態。(続投要請は)前向きにとらえたいが、気持ちの整理がつかない」と、胸中を明かしていた。
08年の北京五輪代表も率いた反町監督は、山雅がJ2に昇格した12年シーズンに就任。史上最短の3年でチームをJ1に導いたが、J1では苦戦し、1年でJ2に降格した。

秋冬光彩、幻想的で神秘な「白虹」出現(松本市・前鉢伏山)

161203sikip霧の流れに朝日が差し込み突然現れた白虹がファンタジックな“白い架け橋”を天空に描いた。自然現象の神秘な素顔が伝わってきた=ニコンD3S、ニッコールED28~80ミリ、NDハーフ、11月21日、松本市前鉢伏山

枯れた草原の山肌を流れる霧に低い位置から日が差し込んだ瞬間、白いアーチが浮かび上がった-。松本市の前鉢伏山で11月21日早朝、珍しい白虹(しろにじ、はっこう)現象が見られた。風に乗って流れる霧に出現した白虹は、わずか3分ほどの幻想光彩のドラマだった。
白虹は、霧が発生している時に見られる現象で「霧虹(きりにじ)」とも呼ばれている。「白い虹はなぜ?」。そのメカニズムが気になるので調べてみた。7色に鮮やかに輝く普通の虹は、太陽光が雨粒に反射する際、雨粒がプリズムの役目を果たして太陽光が分光(スペクトル)されて見える現象。
白虹は、太陽光が霧に反射して出現する現象。雨粒より霧の粒はより小さいため、プリズムのように分光されず、すべての波長(色)の光が同じように散乱され白く輝く。霧が発生している朝夕、太陽の高さが低い時間帯にまれに見られる。
朝の白虹は、晴天のシグナルと言われている。だが世の中では“地震の予兆現象”とも。何の根拠もなく、信じてはいないが…翌22日、午前5時59分にM7・4の福島県沖地震が発生した。いつ起きても不思議ではないと言われている塩尻市から松本市街地に及ぶ牛伏寺断層が急に心配になった。
(丸山祥司)