月別アーカイブ: 2015年1月

新体制発表会 残留以上を追求し戦い抜く姿勢示す

150127yampサッカーJリーグ1部(J1)で戦う松本山雅FCは1月25日、松本市のまつもと市民芸術館で新体制発表会を開いた。反町康治監督や新加入15選手を含む33選手、指導陣らが顔をそろえ、ファン・サポーター1500人余と対面。意気込みを語り、約6週間後に迫った開幕へ気勢を上げた。
2月1日に社長に就任する神田文之・取締役管理本部長が、今季のスローガン「One Soul~走破! その先を目指して~」を発表。反町監督は今季の目標について、残留という言葉を使わず「ぜひとも日本のトップ15に入りたい」とし、残留以上を追求し戦い抜く姿勢を示した。
選手代表としてあいさつした鐡戸裕史選手は「チーム設立50年の節目の年に、初めてJ1に挑む。すごく特別なシーズンだと思うし、特別なシーズンにしなければいけない」と誓った。
山形村から訪れた平林達也さん(33)は「いよいよ始まったなという感じ」。3月7日、名古屋グランパスとの敵地での開幕戦にも行く予定といい、「苦しい戦いが続くと思うが、アジア・チャンピオンズリーグ出場を目指して頑張ってほしい」と期待を込めた。

J1山雅、本格始動 新戦力会見と初練習

150122yamp今年、県内のサッカークラブとして初めてJリーグ1部(J1)で戦う松本山雅FCは1月21日、松本市の信州スカイパーク体育館で今年初めての練習を行い、本格始動した。20日には同市内のホテルで新加入選手の記者会見を開いた。就任4季目の反町康治監督の下、新戦力15人を加えた選手計33人で、新たな挑戦が始まる。
初練習には31選手が参加。詰め掛けた200人余の観衆の拍手に迎えられて入場すると、体幹トレーニングやボール回しで2時間近く汗を流した。
訪れた百瀬久仁子さん(48、松本市石芝)は「バランスよく新戦力が加わった印象。反町監督の言葉も頼もしいので、ぜひ頑張って」。友人の三村恵美子さん(44、同市南原)は「みんなの意気込みが感じられる。新加入選手も早く環境に慣れ、力を発揮してほしい」と期待を込めた。
山雅は25日に新体制発表会を開き、全選手や指導陣、スタッフがファンらと対面。27日から3次にわたるキャンプを経て3月7日、名古屋グランパスと敵地での開幕戦に臨む。

新加入選手の記者会見は、体調不良の那須川将大選手を除く14選手が出席、自己紹介を行い決意を述べた。例年は新体制発表会で新戦力を紹介しているが、今年はJ1に昇格したことや人数の多さなどから、事前に会見の場を設けた。
加藤善之ゼネラルマネジャーは、補強のポイントとして(1)J1で戦える守備の再構築(2)より攻撃的なスタイルの追求(3)(それ以外の)戦力の補完-を挙げ、「(J2に)落ちないということではなく、さらに上を目指すつもりで戦う」と強調した。
反町監督は「J1でくすぶっている選手より、J2で活躍し、実績を残した選手を主眼に獲得した」と明かし、「未知数の部分はあるが、昨年のチームの力を上回っている自信はある」ときっぱり。
船山貴之選手ら昨季の主力がチームを離れたが、監督は「戦力ダウンとは全く思っていないし、それは開幕してから証明させてもらう」と力を込めた。
(長岩将弘)

山雅「レジェンド」座談会(上) J1昇格新たな戦い

150106yamp松本駅前にあった喫茶店の客有志らが愛好会として立ち上げ、今年で50年になる松本山雅。これまで多くの人が関わり、力を尽くしてきた。かつては選手として活躍し、現在はスタッフとして支え続ける6人の「レジェンド」たちは、自らが所属したチームのJ1昇格をどう見、それぞれの立場で新たな戦いにどう臨むのか―本音で語り合ってもらった。2回に分けて紹介する。

【神田文之】(かんだ・ふみゆき) 山梨県生まれ。05年9月―06年2月在籍、MF。取締役管理本部長。2月1日から社長に。37歳。
【柿本倫明】(かきもと・みちあき) 福岡県生まれ。08―10年在籍、FW。クラブアンバサダー兼ユースアカデミーU―14監督。37歳。
【小澤修一】(おざわ・しゅういち) 神奈川県生まれ。05―10年在籍、MF。クラブ広報。35歳。
【矢畑智裕】(やはた・としひろ) 茨城県生まれ。05―08年在籍、DF。ユースアカデミーU―13監督。34歳。
【小林陽介】(こばやし・ようすけ) 東京都生まれ。09―10年在籍、FW。ユースアカデミースクールコーチ(普及担当)。31歳。
【片山真人】(かたやま・まさと) 大阪府生まれ。07年、11―12年在籍、FW。事業本部ホームタウン担当兼プラスワンバサダー。30歳。

―昇格を決めた39節・福岡戦(11月1日)、どこで歓喜の瞬間を。
片山 行きたくても行けなかった人がたくさんおるからね。
―この中で行っていた人は小澤さんだけ。
小澤 はい。僕はピッチサイドで走り回ってましたね。
―あれだけ盛り上がったのは予想外でしたか。
小澤 いえ、予想はしていて、その後の準備に追われていました。昇格が決まったらあれをやってくれ、これをやってくれという依頼がとても多くて。それを頭の中で繰り返し確認し、終了後のシミュレーションをして、試合の終盤は、もうそればかり。だから、あんまり実感がないんです。試合もほとんど見られなかったし。
片山 俺と陽介さんは歌ってましたね、Mウイング(松本市)のパブリックビューイング会場で。めっちゃ盛り上がってましたよ。
小林 昇格記念Tシャツも着させていただきました。
柿本 僕は(会社の)外で、知り合いと一緒に。
神田 僕も外でしたね。
小澤 (矢畑を指し)一番興味なさそうだよね。
片山 たぶん試合を見てない。
矢畑 見たって。途中からだけど。
一同 ほら、途中からって!(笑)
―仕事があったとか。
矢畑 いや、飯食いに行って帰ってきて、残り20分くらい。
片山 20分だけ(笑)。
小澤 J2に上がった時(11年12月4日、宮崎県で行ったJFLホンダロック戦に勝利)は、3人(小澤、柿本、矢畑)でクリニック(出張指導)に行っていたんです。そこで子どもたちが騒ぎだして、昇格を知ったという。
矢畑 ?
片山 覚えてないの?まあ、いろんなレジェンドがいますから(笑)。
―J1昇格が決まった時の率直な気持ちは。
柿本 今年の戦いぶりを見てきていたので、その瞬間の驚きはさほどありませんでした。ただ、こんなに早くJ1へ手が届いたのかという驚きはありました。
片山 確かに、まさかたった3年でJ2を駆け抜けるとは思わなかった。そこは僕もすごいと思いました。
神田 試合終了の瞬間は携帯電話が手元になかったんですが、少し後で見てみたら、応援してもらった方やお世話になっている方から、これまでにないくらい、たくさんの着信やメールなどがあったんです。そのことに驚き、昇格を実感しました。東京で働いていた時の職場の方からも連絡をもらい、全国的に知ってもらう新たな機会になったのかなと感じました。
―昇格を決めた福岡は柿本さんの出身地ですが、何か感慨は。
柿本 うーん、やっぱり現地に行ってませんからね。その場にいなかったというのは…。
片山 行きたかったですよ。(試合後の)集合写真に俺も入りたかった。
小澤 いや、俺も入ってないよ。この6人は誰も入ってない。
片山 まあ、僕らは影で支える存在ですからいいんです。書いといてください、これ。
―チームが快進撃を続ける中で、皆さんの仕事の現場で変化などは。
柿本 (保育園や幼稚園の)巡回指導に行くと…。
片山 え、俺が言うんですか(笑)。ええと、巡回指導に行くと、山雅のユニホームを着てる子どもがたくさんいたり、横断幕を掲げてくれたりする園もありました。昇格決定後は、園のみんなで声を合わせて「昇格おめでとう」って言ってくれたり。そういう変化は明らかに増えたと感じました。うれしいことです。
―15年シーズン、チームに期待することは。
小林 残留…でしょうかね。
片山 シーズン前から俺らが言っていいか分からんけど、やるからには優勝を目指しつつ、ただ現実的には残留が目標になるでしょう。
小澤 残留できたらたいしたもんだ、と。
片山 そう。やるからには優勝狙わなあかんけど、まずは、今やっとたどり着いたJ1の舞台から簡単に降りてはいけない。なんとしてでも食らいついて、残留―というより、定着とか、継続とか、うまく言えないけど、ここに居続けることが大事やと思う。
小林 そういうことだね。以下同文。
柿本 言うことなくなっちゃった。
小澤 おそらく、成績面では苦しいシーズンになるでしょう。だけど山雅って、苦しいときほど団結し、力を発揮してきたところがあると思う。来年はトップチームだけじゃなくて、クラブとして一致団結し、よりまとまれるきっかけになるんじゃないかな、という気もします。
―雨降って地固まる、と。
小澤 そう。だからこういう(矢畑を指す・一同笑)興味のない人も、J1の舞台で勝ったりすれば、人一倍はしゃぐかもしれない。そういう姿をたくさん見たいですよね。
片山 楽しみですよ、どこまでやれるか。
小澤 対戦相手は浦和や横浜FM、G大阪です。育成にもいい影響が出るだろうし、子どもたちの意識も変わるはず。
片山 J1の育成組織だからね。そりゃ違うよ、子どもたちにとっても。誇りだし、うれしいと思う。
神田 チームは反町監督に任せれば何とかしてくれる、という期待感はある。自分も含めてですが、こうして会社に加わってくれている元選手たちが、トップチームに負けないくらい活躍する姿を見たい、というのはありますね。
片山 俺ら、まだまだ足りんと(笑)。
小澤 もっと働けと(笑)。
神田 いやいやいや…でも、他のクラブに負けないくらい、中からそういう人材が出てくることは、クラブの成長にもつながると思います。ここにいるメンバーは大事です。
―J1に行くと、ユースアカデミー(育成組織)はどうなる。
矢畑 なかなかすぐには変わらないでしょうけれど、いい刺激が増えるのは間違いない。ただ、僕は仙台(2000―03年在籍)で味わっているんですが(仙台は01年J1昇格も03年降格)、やっぱりトップチームが降格してしまうとお客さんが離れたりして、地域の熱が下がってしまう。それは怖い。最低の目標である残留を果たしながら、山雅らしいサッカーをして、お客さんを楽しませてほしい。それはプロの使命でもあると思う。
片山 神田さんよりいいこと言ったね。
神田 (苦笑)
柿本 いや、カンちゃん(神田さん)が引き出したんだよ。
神田 俺のことはもういいよ(笑)。
(文中敬称略、聞き手は長岩将弘)

山雅「レジェンド」座談会(下) 新時代へ使命感

-14年シーズンを振り返って、鍵になった試合は。
片山 何試合かあるけど、まずは東京Vとの開幕戦(3月2日)です。アウェーなのに8000人を超えるサポーターが来てくれて熱い気持ちを感じられた中で、(船山)貴之がハットトリックを決めた。エースの活躍で白星発進というのは、今考えればその後を象徴していたのでは。J2初年(12年)の開幕戦もアウェーの東京V戦でしたが、当時と比べるとすごく成長も感じられた。
小林 僕も現地で見た開幕戦ですね。
片山 開幕戦は2人(片山、小林)でグッズ販売もしました。
小林 スタッフとして初めて見た公式戦でしたが、自分たちのスタイルをはっきり示し、いいスタートを切れた。あとは9月、勝てなかった時期に順位を落とさなかったのも大きいと思います。(3位だった)磐田と勝ち点差が小さく、順位が入れ替わってもおかしくなかったけれど、そうはならなかった。運も味方につけられたということでしょうか。
矢畑 他チームの取りこぼしもあって、順位が変わらなかったね。俺もあの時期は大きかったと思う。
柿本 僕はちょうどそのころ(9月6日=30節)、アウェーで引き分けた湘南戦です。内容的には押されていたんですが、山雅らしい粘りで首位を独走する相手に善戦し、勝ち点1を加えた。それまでの成長とまだ足りない点とが、あの段階で見えたことにも意味があったと思う。
神田 僕も開幕戦ですね。僕も一緒にグッズ売ってたんですよ。
小林 ああ…いたと思う。
一同 思う(笑)。
片山 じゃあ、(小澤)修さんにまとめを。全試合、一番近くで見てるでしょ。
小澤 そう思われてるけど、いろいろ仕事もあって、まともに見ていられるのはせいぜい前半だけなんだよ(笑)。でも前半だけで言えば、ホームの湘南戦(3月30日=5節)。開幕4連勝で勢いに乗っていた湘南を圧倒し、完全に山雅のゲームだった。僕はずっと現場で、例えばキャンプでの選手ミーティングにも出させてもらい、すごく勉強にもなっていたんですが、個人戦術もチーム戦術も、その成果が全部出ていた。後半に突き放されて負けこそしましたが、こういうサッカーができれば今年は相当いい順位にいくだろうなと予感した試合でした。まさか3位に勝ち点15も差を付けて、自動昇格できるとは思いませんでしたけどね。
-皆さんが選ぶMVPは。
片山 僕は貴之かな。もちろんみんな頑張ったんですけど、19得点という数字は同じFWとしてやっぱりすごい。守備もするし、攻撃の起点にもなるし、アシストもする。得点以外でも貢献し、チームの顔だと思う。一緒にプレーもしたし、実は家も近くて、個人的にもうれしかった。
小澤 何であんなに点取れるようになったんだろうね。どこが変わったっていう印象はないんだけど…。
片山 自分をうまく使ってくれる選手が増えてきた、っていうのはあるかも。俺が横にいてもあかんかったんやっていう(笑)。
小林 2人挙げさせてください。まずは岩上選手。スタッフとして加わる前の13年、アルウィンに見に来た天皇杯で初めてプレーを見たんですが、ロングスローもいいキックも持っていて、チームの核になれる存在だと感じた。来年もいてくれればいいなと思っていたところに完全移籍してくれて、期待通りの活躍をしてくれました。もう1人は鐡戸選手で、試合に出られない時も黒子役として汗をかき、チームに尽くした。ああいう存在は彼だけではないだろうけど、チーム最古参が進んでそういう役割を果たした意味は大きいと思います。
矢畑 (小林)陽介と一緒で岩上かな。セットプレーもそうだし、攻撃のオプションの中で彼がいないと成り立たないものはけっこう多い。流れの中でも存在感を出せる選手だとも感じます。
小澤 僕は喜山ですね。選手会長としてチームをよくまとめていたし、実際、あいつがいないと流れがよくなくて、勝てない試合もけっこうありました。あれだけ泥くさくボールを追ってますが、もともとFWなので、前に行きたい気持ちをぐっと抑えたりもしてると思います。たいしたものです。
柿本 ムラ(村山)です。あれを止めてなかったらどうなっていたか分からないなっていう、神がかったセーブもけっこうある。正GKとして加入したわけではないことを考えると、すごく成長したと思います。
神田 田中隼磨選手…は置いといて。
一同 置いとくの?(笑)
神田 いや、やっぱり当たり前すぎるかなと思って…。個人的には犬飼選手かな。成長もしましたが、見ていてまだまだこれから楽しみというか、将来性を感じさせる。
小澤 彼はきっといい選手になるよね。
-それぞれの立場で「J1松本山雅」にどう貢献を。
片山 「山雅を全国区にしたい」というマツ(松田直樹)さんの言葉に、当時から共感していました。J1昇格で高まっている注目度を利用し、自分のできることの中で、まずは県内からもっと盛り上がっていければいい。その延長線上に、全国区というのも見えてくると思います。
小澤 僕は選手の後、育成部門にも関わらせてもらい、広報になりました。3つを経験して思うのは、自分の仕事の先に何があるかを常に意識しなくてはならないということ。例えば広報なら、スタンドが満員になる光景をいつも目標としてやってきました。それぞれがそれぞれの仕事を頑張り、サッカークラブがある意味を、この町に残し続けていけたらいいと思います。
小林 ホームタウンはもちろんですが、それ以外の地域の、特に子どもたちに、もっと山雅を知ってほしいですね。知ってもらうことで、よりアルウィンに足を運んでほしい。そうして子どもたちに夢や希望を与え、県内にはこんな素晴らしいクラブがあるということを誇りに思ってもらえるような活動をしていきたいです。
矢畑 今年も育成に携わると思います。毎年のことですが、自分の指導スキルを向上させながら、選手たちの長所をより伸ばせるように頑張ります。
柿本 こうして山雅が盛り上がる前の、どちらかというと苦しかった時期のことは、今やここにいる僕たちくらいしか知らない。僕やガチャ(片山)が代表して「こういう時期もあったよ」と伝えていくのも、アンバサダーの使命かなと思います。育成に携わる立場としては、山雅の名に恥じない選手を育て、チームをつくることに努めたいですね。
片山 さあ、大トリ。これからいいこと言いますよ。
神田 このメンバーをはじめ、クラブのことを思い、それぞれの個性を生かして貢献してくれる人がそろっている。それはクラブの可能性そのもの。自分ができるのは、そういった人たちの声を聞いたり、組織との間に入ったりすることだと思っています。さっきも言ったとおり、ここにいるメンバーには特に活躍してほしいと思っているし、僕は自分のできることを頑張り続けたいですね。
片山 ネクタイがガンバ(大阪)カラーですけど、大丈夫ですか。
柿本 ネクタイだけじゃなくて、コーディネートが全体的に…。
-どうもありがとうございました。(敬称略)

取り戻したい美ケ原〝花舞台〟(松本市・美ケ原高原)

150103sikip紺碧の空に霧氷と新雪が輝く美ケ原高原。この美しく見える冬景色の中に草原の危機のシグナルが潜んでいる(ニコンD3、ニッコールED300ミリ、偏光フィルター)

12月上旬、冬型の気圧配置が強まり寒波襲来の松本市の美ケ原高原は、霧氷と降雪が同時に訪れた。つかの間広がった紺碧(こんぺき)の空を背景に霧氷と雪化粧を撮影していると、5頭のホンシュウジカがフルスピードで目の前を横切った。
ホンシュウジカが駆け抜けた山肌一面に広がるのは、シナノザサの大群落。草原はおろか、変わり果てた光景に思わず息をのむ。
マツムシソウ、ノアザミ、ツリガネニンジン、ヤナギラン…。30年前、ここは花々が咲き乱れる美しい草原だった。夏から秋にかけ彩り鮮やかに咲き競う花暦の数は、ざっと400種とも。「花の王国」「百花繚乱(りょうらん)」は、美ケ原を言い表すのにふさわしい言葉だった。
大町市在住の写真家、増村征夫さんや、王ケ頭ホテル会長の小澤蔵生さんの写真集に「花の王国」の往時がしのばれる。あの華やかな草原はもうない。猛威をふるうシナノザサの繁茂と異常に増え過ぎたホンシュウジカによる食害が深刻化。花の美ケ原に赤信号がともる。
冬景色に浮かび上がるシナノザサの群落とホンシュウジカの群れは、草原の危機のシグナルのように映る。「〝花舞台〟を取り戻し、後世に伝えたい」―。そんな願いを込めシャッターを切った。
(丸山祥司)

J1そこが知りたい! 広報の丸山浩平さんに聞く―松本山雅編

150101yamp国内最高峰リーグ「J1」に参戦する山雅。新チケット料金が発表されたように、J1になるといろいろなことが変わりそう。気になるところを広報の丸山浩平さんに聞いた。
まずは「アルウィン」について。
トイレとスタメシ屋台前にできる行列は課題の一つ。スタメシ屋台前の混雑は深刻で、サポーターからは、屋台数を増やすため、スタジアムに再入場できるようにし、外にも設けてほしいとの声が出ている。
トイレについて、丸山さんは「県から『開幕までに和式トイレをすべて洋式にする』との言葉をいただいている」と言うが、数は「増えない」。
また屋台については、「増やしたい。全試合で再入場制を検討中」。
ホームゲーム数にも変化が出る。22チームあったJ2と違い、J1は18チーム。リーグ戦のホームゲームは17試合で、カップ戦などを含め、「最少は20試合」。
「ただし、ヤマザキナビスコカップなど、リーグ戦以外の試合に勝ち続ければ、ホーム試合が増える」。1試合でも多くアルウィンで選手の勇姿を見たいところだ。
「J1になると、選手との距離が遠くなってしまうのでは」。そんな心配をしているサポーターもいるかもしれないが、「ご心配なく」と丸山さん。これまで使っている練習場は、「公開練習日はこれまでと同様に見てもらえるし、選手もサインに応じる」。
ただ、松本市が旧かりがね自転車競技場跡地に建設中のサッカー場で練習するときは、「まだどのような施設になるか分からず、選手の動線も不明なため、現時点では何とも答えられない」。
最後に、小中学生の招待券や新グッズについて。
ホームタウンである松本、塩尻、安曇野市、山形村の小中学生にはこれまで同様招待券が配られるが、「使える試合と使えない試合を設ける」。
選手ごとのタオルマフラーの製作や、グッズ取扱店の増加については「検討中」とした。
J1昇格により、カルビーのスナック菓子「Jリーグチップス」の選手カードに、山雅の選手が登場するかもしれない。「かもしれない」と言わざるを得ないのは、2014年は日本代表選手カードのみだったため。同社によると「15年度の商品計画は未定」(広報部)。復活を願いながら、選手カードについて紹介する。
一番気になるのは、誰がどう選手を選んでいるかだ。
広報部の間瀬理恵さんによると、「かつてはカルビーと制作代理店が人気選手を選び、各チームの承認を得た上で作ったが、今は出場時間や得点などの基準を決め、その上位選手を使う」。活躍しなければカードにならないようだ。
近年は1チーム7人前後がカードに。発売の1カ月前くらいに確定するという。

山雅の選手の中には、かつての所属チームでカード化された選手が何人もいる。
常連は田中隼磨選手。初登場はヴェルディ時代の02年。これ以降、横浜FMに在籍していた05年から名古屋時代の13年まで毎年カードに(日本代表選手カードのみだった10年を除く)。
また、岩沼俊介選手は札幌時代の12年、大久保裕樹選手は京都にいた06年にカード化された。
もっとも早くカードになったのは反町康治監督。製品の発売開始の92年から96年まで、横浜フリューゲルス(当時)や平塚(現湘南)の選手として登場。監督としても新潟で05年にカードになった。
かつての所属選手や監督も紹介。
故松田直樹さんは95年から09年まで毎年登場(98年を除く)。「日本代表」「キャプテン」など企画カードの常連でもあった。
野澤洋輔選手は新潟時代の04-06年に。「守護神カード」(04年)や「オールスターカード」(06年)にもなった。
大橋正博さん(11-12年所属)、木島良輔選手(同)、元監督の辛島啓珠さん(05-07年所属)も登場経験がある。
(松尾尚久)

先輩市民クラブに学ぶ 「ヴァンフォーレ甲府」リポート

山雅は今年、県内初のJ1クラブとして国内最高峰リーグに挑む。反町康治監督は「来季は未知との遭遇」と表現していたが、同じように感じるサポーターも多いことだろう。
山雅と同じく予算規模の小さい市民クラブでありながらJ1で健闘、昨季クラブ史上初の2季連続残留を果たしたヴァンフォーレ甲府のホーム最終戦をリポートしながら、クラブ運営会社の海野一幸会長に聞き、J1とはどんな舞台なのかを探った。

甲府のホーム最終戦は、11月29日の第33節・FC東京戦。前節、ホームで勝って残留を決めてはいたが、12年からチームを率いた城福浩監督の退任が、4日前に発表されていた。甲府としては、勝利で監督を送り出したいところだろう。
山雅のホームグラウンドのアルウィン(松本市)より最大収容人数は3000人余少ない、1万7000人収容の山梨中銀スタジアム(甲府市)がある小瀬スポーツ公園周辺は、開始2時間近く前からごったがえしていた。気勢を上げるサポーターらの声も敷地外からすでに聞こえ、この一戦に懸ける思いが伝わってくる。
試合は午後5時に開始。この日は、同所ではシーズン最多となる1万5071人が詰め掛け、双方の声援が夜空にこだました。
特に、アウェー側観客席の声援の圧力がすごい。地理的に近く、多くの人が訪れたこともあるのだろうが、J2では考えにくい状況だ。
ピッチ上では、甲府がその強い思いを体現した。
FW武藤やDF森重ら、日本代表やその経験者が多数在籍するF東京を相手に、甲府は前半から果敢に攻める。後半こそ相手に押し返される場面が増えたが、決定機らしい決定機はつくらせず、0-0で終了。甲府10本に対し、F東京が3本というシュート数が、試合を象徴していた。

試合後は最終戦セレモニー。映像で今季を振り返り、監督や主将、クラブ運営会社社長らがピッチ上であいさつをした。
驚いたのはアウェー観衆の半数ほどが残り、ピッチを1周する甲府の面々にねぎらいの言葉をかけたことだ。08年から10年9月までF東京を指揮した城福監督にはもちろん、甲府の選手たちにも「お疲れ!」などと声が飛んだ。
城福監督はセレモニー後の会見冒頭、「2年前、F東京とやったときは10回やっても10回勝てないと思う試合だったが、今日はもう一度やりたいと思う試合だった。彼らの成長した姿を見て、本当にうれしく思う」と話した。どことなく、昨年の山雅とも重なる。
また城福監督は、予算や環境面の厳しさを、「4人乗りの車に6人で乗って、坂道を登っているような印象」と表現しつつ、「サッカー文化と歴史がある中で、こんなに熱いサポーターがいる。この車が定員オーバーでなくなる日が来れば、本当に素晴らしくなる」。城福監督の言葉は、山雅にもそのまま当てはまるように思えた。

甲府は翌週の最終34節、アウェーで清水エスパルスと対戦。過去1分け8敗と苦手としていた相手だが、0-0で引き分けた。甲府は9勝14分け11敗、勝ち点41の13位で、14年シーズンを終えた。
【海野会長に聞く】
海野会長は、J1の舞台で感じたJ2との最大の違いを、「やはり観客数」とした。
データにも如実に表れている。J2だった05年のホーム戦平均観客数は6931人だったのに対し、初めてJ1で戦った06年は1万2213人と、1・76倍にもなった。
「山梨県初のJ1クラブ誕生で関心が高まり、(年間パスを持つ)クラブサポーター会員が5771口から9950口へと飛躍的に増加。アウェー側観客も多く来場した」と、主な要因を挙げる。
しかし甲府はその後、2季でJ2に降格。11年は再びJ1で戦ったが、今度は1季で降格-と、なかなかJ1に定着できない、苦しい時期が続いた。
それに伴うように、クラブサポーターは06年をピークに減少し、14年は7597口に。厳しいが、これが現実ということだろう。

しかし「こんな状況だからこそ、自分たちの特色でもある『地域密着』を大切にしていかなければいけない」と、海野会長は力を込める。選手やクラブマスコットの催し参加、スタッフの講演会など、参加したイベント数は14年だけで400近くに上ったそうだ。
「クラブをより身近に感じてもらうことこそが、1人でも多くの方々の足をスタジアムに向けることになると思っています」。そう話す海野会長は、それこそが地方都市の市民クラブがJ1という舞台で存在感を示し、輝き続けるための鍵でもある-と言う。
「クラブ、選手、スタッフ、マスコットが、さまざまな形で地域の方々と触れ合う機会を増やしていくことが、クラブの存在意義を高め、より多くの方々に支援や応援をしていただくことにつながる。ヴァンフォーレ甲府というクラブを介することで、人と人のつながりが生まれ、さまざまな価値が創出される。そういった積み重ねでクラブを『無形文化財』へと高め、山梨県になくてはならない存在になることが、われわれの目指すところです」。

山雅がJ2に参入した12年の2度の「甲信ダービー」を、海野会長は「試合の結果もさることながら、両サポーターの応援による戦いは、熱戦そのものだった」と振り返る。
「国内最高峰のJ1のステージで再び対戦できることを、非常にうれしく思います。互いに地方都市の市民クラブとして誇りを持ち、素晴らしい雰囲気の中での試合になることを期待しています」
【ヴァンフォーレ甲府】
1965(昭和40)年、県立甲府第一高OBを中心に「甲府クラブ」として設立。72年にJSL2部、92年に旧JFLに参戦し95年、現チーム名に。Jリーグが2部化した99年、J2に参戦。2度のJ1昇降格を経験したのち、13、14年シーズンでクラブ史上初めて2季連続J1残留を果たした。ホームタウンは甲府市、韮崎市を中心とした山梨県全域。
(長岩将弘)