月別アーカイブ: 2014年11月

入山辺の古いホテル改装し、アートあふれるコテージに 来年4月オープン予定

松本市入山辺の古いホテルを使い、アートや音楽、パフォーマンスがあふれる場をつくろうというプロジェクトが始まっている。宿泊と朝食を提供するB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト)形式のコテージに模様替えし、1室では、東京の画家が壁をキャンバスに見立て作品を完成させた。来年4月にオープン予定で、室内の装飾を担当するアーティストも募集している。
SABOU-SIGA(松本市殿野入)の田中ゆかりさんがオーナーの「Hostal Mugi(オスタル・ムギ)」。田中さんは、上田市で小学校時代同級生だった画家の三木まゆみさん(東京都)と東京で再会。「おもしろいことを」と意気投合し、「アートでツナグ」をテーマに、アーティスト、工芸家らの発表の場など、いろいろな可能性を含んだ場をつくることにした。
茶と白だった1室の壁を白に統一。三木さんが毎週末、東京から訪れ、「Mother(マザー)!」をイメージした絵を制作した。アクリル絵の具を使用、4面全体に描いていて、母の髪、木の枝など、途切れることなくつながっている、温かい雰囲気の絵だ。
多くの人が交流できる場にしたいと、10月半ばには、ワークショップを開催。地元の人ら約20人が参加し、交流スペースの壁、天井をオレンジ、緑色で塗り、思い思いの絵を描いた。
入り口のブロック塀には、シンボルとなる大きな太陽の絵を描こうと、4月にワークショップを開く計画。絵や木彫、オブジェなど、室内を装飾するアーティスト、工芸家も探している。
天然酵母のパン、有機野菜など、地元産の農産物を使った朝食も用意。要望があれば、夜も提供する。田中さん、三木さんは「心と体にいいアート、食事を提供し、五感を使って楽しめる場所に。訪れた一人一人と、そうした場をつくりあげていけたらうれしい」としている。
現在は週末のみ宿泊を受け付けている。田中さん電話080・1190・3191
(八代啓子)

大町の新たな文化の担い手育成-初の冬期芸術大学が開講

大町市で22日、大町冬期芸術大学が開講した。市の文化、芸術をリードする人材の育成を目的に、市と市教委が初めて開催。国内外で活躍するアーティストやクリエーターを講師に、12月5日から実践形式のワークショップを始める。
開講式は市役所で開き、空間美術、ファッション、パフォーマンス、企画プロデュースの全4コースに応募した市内外の約60人が参加。市民を中心に安曇野市や松本市、遠くは相模原市からの申し込みもあり、大人に交じって地元高校生ら若者の姿もあった。
式で牛越徹市長は「新しい大町の文化・芸術を創造する第一歩だ。文化と地域は表裏一体。大事なのは、過程であり、それを担う人たち。皆さんの地域での活躍を願いたい」とあいさつ。
開講を記念し、企画プロデュース講座の講師を務める東大大学院人文社会系研究科の小林真理准教授が「芸術・文化でつくる大町の未来」と題して最初の講義をした。
小林准教授は、住民による自主的な文化活動が盛んな地域は、住民同士のつながりが強固で、まちづくりや防災にも役立っていることを強調。「皆さんは芸術大の1期生として、将来の大町を変える力を持っている。自分の可能性を信じて、力を試してほしい」と激励した。
企画プロデュースは5日、ファッション、空間芸術は6日、パフォーマンスは21日からそれぞれ3-5回、12月中にワークショップ形式の講座を開講。来年1月からは、4コース合同で2月に開く成果発表会の舞台制作に入る。
(高山佳晃)

豊科の丸山澄夫さんが自選の計325句をまとめ第2句集を刊行

安曇野市豊科で菊の栽培をしながら、俳句会「羅(ら)」に所属する丸山澄夫さん(82)は今秋、第2句集「田の沖」を「羅の会叢(そう)書」として刊行した。2000年から14年間、俳誌「羅」に掲載した作品と、他誌に寄稿した中から自選した計325句を載せた。
題名の「田の沖」は「田の沖の明るき方へ蛭(ひる)泳ぐ」という句からとった。オタマジャクシもホウネンエビもいるという、自宅近くの自然豊かな田に材を得、自身の生き方になぞらえ詠んだ。「簡単に暗い人生で終わりたくはない」と話す丸山さんの、常に明るさを求めて前向きに進む気持ちが表れている。
「時には蛭の気持ちになってみよう」と観察もした。「(蛭は)意外と泳ぎがきれいだった」と笑う。「文学的にどうこうというのでなく、“日常”を大事にしている」とも話す。
知人らに好評な句は「声紋も水輪も春の輪の中に」。3、4年前に詠んだ。
「羅」代表の飯島ユキさん(松本市)は「八十路また間口の広き秋の空」を推し、「柔軟性あふれる丸山さんの生き方、考え方が表れている」と言う。句会では最年長の丸山さんだが、「いつもみずみずしい句を披露し、私たちを刺激してくれる。老いを楽しみ、気負わずに俳句を楽しんでいる」と飯島さん。
俳歴は1969(昭和44)年1月からで、まもなく46年。知人に誘われ、独学で10句作ったのが最初という。同年の11月には全国的な俳句結社「鷹」に入会。30年ほど在籍した。第1句集はこの時代に出版した。「羅」には同会の初期から会員となっている。
四六判、175ページ。2000円(税別) 電話 72・0693
(長田久美子)

J2最終42節 「らしさ」全開・水戸に3-0完勝

141127yamp松本山雅は、23日の第42節水戸ホーリーホック戦でも自分たちのサッカーを表現し、J1昇格を決めた2014年シーズンをいい形で締めくくった。
前線から守備をし、ボールを奪ったら素早く前へ運んでシュートを打つ。点が取れなくても、そこで得たCK、FK、スローインなどから相手ゴールを何度も襲う。相手にボールを奪われたらすぐに複数人で体を寄せ、再びボールを奪って速攻を仕掛ける。
前線の選手が後ろまで来て守り、後列の選手が最前線まで攻め上がる「山雅らしい」ダイナミックな攻撃的サッカーで、見る者を魅了した。

開幕戦はアウェー東京V戦、船山のハットトリックで始まったが、ホーム戦でも心に残るプレーが数多く生まれた。4月26日岐阜戦の岩上のFK、8月10日栃木戦の船山のミドルシュート、7月26日東京V戦での村山のビッグセーブ…。5月24日磐田戦の激闘、11月9日千葉戦のJ1昇格凱旋(がいせん)試合での完勝など心を熱くする試合もあり、数え上げればきりがない。
サポーターをスタジアムへ向かわせた要因は、勝利だけではなく、90分間あきらめず、ひたむきにプレーする選手たちの姿だ。
選手は昨季J1昇格プレーオフ進出を逃した悔しさ、サポーターやボランティアの支え、チームメートへの思いなど、さまざまなものを抱いて戦った。その数が多かったからこそ最後まで全力で走り抜けられたに違いない。
チームはJ2フェアプレー賞を獲得。熱くてクリーンな戦いをした。熱くて礼儀正しく、フレンドリーなサポーターと共に、アルウィンにすがすがしい空気をつくり出した。
最終節戦後、ゲーム主将の飯田はサポーターにこう呼びかけた。
「皆さんの手はゴールが決まった時に隣の人と喜びを分かち合い、声は僕たちに勇気をくれるものであって、決して誰かを傷つけるものではありません。周りを見渡してください。このスタジアムには年配の方、子ども、車椅子の方など幅広い人がいます。中でも子どもたちはクラブの宝。皆さんと一緒に、10年後、20年後ここで試合をするかもしれない子どもたちが安心して夢を見られるスタジアムづくりをしていきたい」
選手とサポーターがこうした思いを共有した“仲間”(飯田)でいる限り、山雅は成長を続けるだろう。
(松尾尚久)

秘めた思い 3選手の今シーズン

J2昇格からわずか3季で、悲願のJ1昇格を成し遂げた山雅。「どの選手もかけがえのない存在。その集合体が大きな成果を生んだ」-昇格を決めた39節・福岡戦後に反町監督が話したように、経歴や境遇は違えど、あらゆる選手が努力を重ね、力を尽くした。それぞれの思いを秘めて戦い抜いた3選手の今シーズンに迫った。

【鐡戸裕史-自分に何ができるのか】
同一クラブで地域リーグからJ1昇格までを経験した選手は、おそらく鐡戸以外にいまい。
山雅で迎えた実に3度目の「昇格」。16番を背負って6季目のチーム最古参は、その瞬間をピッチ上で迎えた。号泣し、仲間とがっちり抱き合って、過去2回の昇格とは少し違う戦いが実った喜びを爆発させた。
北信越リーグ1部だった09年6月に加入。豊富なスタミナや高精度のキック、多彩な攻撃のアイデアなどを武器に、主に左サイドバックとして主力を担い、JFL、J2への昇格に貢献した。
J2参入初年の12年は37試合に出場したが、同ポジションを争うライバルが増えた昨季は22試合に減少。特にシーズン後半はベンチ入りさえ思うようにかなわず、「ネガティブな時期を過ごした」と振り返る。
だが、ある時に気づいた。「出られないからチームに貢献できない-では、選手としてここにいる価値はない。お金を払って見に来て、応援してくれる人たちがいるのは、とても幸せなこと。昨季を繰り返してはいけないと思った」
出られないときに何をするのか。チームの一員として何ができるのか-。飯尾和とも相談し、行動に移した。
普段の練習から決して手を抜かず「ゆるさ」を見せないのはもちろん、公式戦の翌日に行う控え主体のトレーニングマッチでも積極的に声を飛ばし、「公式戦のような雰囲気づくりや、公式戦と同じプレーの質を追求したつもり」。
ベンチに入れば、ロッカールームで出場メンバーにタオルを配ったり、あおいで熱を冷ましたり。「いい雰囲気をつくってくれた」と、飯田をはじめ何人もの選手が、鐡戸の献身を証言している。
その飯田とともに故・松田直樹さんの墓参りをしたのは、最終節前のオフの日。J1昇格を報告しながら「『山雅を全国区にする』というマツさんの願いは、まだ達成していないと思う。これからも自分がやれることをやっていく」と、新たな挑戦を誓った。
補強も見込まれ、来季のレギュラー争いはさらに厳しくなるであろうことは覚悟の上。「ピッチに立つことを目指すのは当然として、自分に何ができるかを常に考え続けていくのは、その先の人生にもプラスになるはず」。最終節を終えてなお、鐡戸の表情は引き締まっていた。
(長岩将弘)

【岩沼俊介-1対1勝負にこだわり】
昨季は不動のボランチだったが、今季第4節からポジションを左ウイングバック(WB)へ変更。「複数のポジションをできるのが自分の強み」との言葉どおり、新たな“職場”で安定した仕事ぶりを見せ、チームの躍進に大きく貢献した。
守備時は最後列まで下がり、攻撃時は最前線まで駆け上がるWB。CB、MF、FW、すべての選手たちとコンビネーションを組みながら上下動するため、体力のみならず、高度な戦術眼が必要だ。
その中で、岩沼がこだわったのは「1対1」の勝負。ボールを奪う、相手の攻撃を遅らせる、相手の攻撃をサイドへ追いやる、正確なクロスボールを上げさせない…。派手さはないが、岩沼がサイドを制することで、中で構えるCB、MF陣が助かり、試合の行方を左右した。
1対1の強さは日ごろの練習で磨いた。「なんといっても、紅白戦の相手が山雅の選手だから。最後まで全然動きが落ちない。毎週すごく鍛えられた」
けがで9月に3試合欠場。「全試合出場を目標にしているので、すごく悔しかった」が、けがが治ると、反町監督はすぐ岩沼をピッチへ送り出した。「『やれ!』という強いメッセージを受け取った。プレーで返すしかないと思って戦った」
12年のJ1札幌時代に30試合出場。J1のサッカーを肌で知る数少ない選手の一人だ。
「無理に攻めきらないのがJ1。守備の隙ができるまでじっくりパスを回し、ワンチャンスを決めてくる。我慢する時間帯が増えるだろう。でも、最後まであきらめずに走り切って戦う『自分たちの形』が出せれば大丈夫。走力や球際の強さなどを泥くさくやっていくことが大事」
昨年、他のJ1チームから声がかかる中で山雅へ来た。サポーターやアルウィンなど、数多くのやりがいを感じての決断だったが、「もっと成長したい」と飢えていた岩沼にとって、反町監督の存在も大きかった。
「反町監督の下なら成長できると思った。まだあらゆる面を伸ばさなきゃいけないし、伸びると思っている。来季は3年ぶりのJ1。自分がどれだけ成長したか試したいし、サポーターにそのプレーを見てほしい」
(松尾尚久)

【山本大貴-鍛えられ多くを学んだ】
J1昇格を決めた決勝弾は、今季途中加入した大卒ルーキーの一撃だった。後半26分、船山からパスを受けると落ち着いてボールを運び、左足を振り抜いた。「あの時は妙に冷静になれた」と、山本は振り返る。
その10分ほど前、ピッチ上で「しっかりしろ」と、田中に頬を張られていた。冷静になれたのはそのためか。問うと「どうでしょう」と苦笑し、「でも、これまで半年の間に、このチームで得てきたものも大きかったと思います」と、力を込めて答えた。
熊本県出身。地元のルーテル学院高では、3年時に主将として出場した全国高校選手権で得点王。進んだ駒澤大でもエースとして活躍し、世代別代表の経験もある。
しかし、入団したJ1仙台では5月以降、試合から遠ざかった。攻撃陣の故障が相次いだ山雅の誘いを受け、移籍したのは6月初め。「試合に出て経験を積みたかった。ほぼ即答だった」という。
反町監督からは試合後の記者会見で「ダメ出し」をされることもしばしばだが、厳しさは期待の裏返しでもあるのだろう。
「意識が高まり、プレスバックもできるようになってきた」と指揮官が一定の成長を見て取れば、田中も「俺は言ってもできないやつには言わないから」と期待をかける。
その田中ら、ベテランから多くを学べたことも収穫だ。田中が右膝のけが(半月板損傷)を周囲に明かさずプレーをしていたことを知り、「尊敬し直したし、そういう背中を見て、自分ももっとタフにならなきゃいけないとも思った」。
一方で、プロ選手としての喜びを知ったのも山雅だった。「チャント(応援歌)をつくってもらったのは初めての経験だったし、結果が出せない時も声を枯らして応援してくれた。めちゃくちゃうれしかったし、支えられた」と、ファンへの感謝を明かす。
アルウィンでの最終節でもゴールを決め、過去最多の大観衆の前で成長の一端を示した。「(クロスを上げた岩上)祐三君のボールがよかっただけ」というものの、プロ初年で計7得点。確かな手応えをつかんだに違いない。
「山雅での全てが貴重な経験。精神面では鍛えられ、力不足ばかりを思い知り、それらも含めて、いいシーズンだった」。振り返る声音にも、半年前にはなかったたくましさがにじんだ。
(長岩将弘)

医療界を身近に 12月5日松本でトークイベント

医療現場と一般の人を近づけたい-。信州大学付属病院の治験コーディネーター長谷山貴博さん(27、松本市横田)は12月5日、「メディカル・ウォリアーズ・ライトニング!」を、同市今町通りのコワーキングスペース「ノウアーズ」で開く。医療界のさまざまな職種で働く6人が、10分間の短いプレゼンテーション(ライトニングトーク)を次々と繰り広げる催しだ。
プレゼンするのは動物実験技術者滝沢章さん、作業療法士鈴木なず菜さん、看護師長尾藍さん、生命保険コンサルタント渡辺直明さん、歯科医師伊佐津和朗さん、歯科衛生士勝野早苗さん。いずれも松本地方在住だが、職場はばらばら。
仕事の内容や日頃感じていることなどを10分間で発表した後、参加者と質疑応答。会場には音楽を流し、参加者は手づくりチーズケーキや飲み物を味わいながら話を聞く。
信大の動物実験施設に勤務する滝沢さんは「動物実験研究者が考える動物愛護」と題して発表する予定。「ともすれば『ひどい』と思われがちな動物実験だが、実験する技術者にも動物への思いや考えがある。動物実験と人々の生活との関わりを含め伝えられたら」と意気込む。
長谷山さんは信大医学部保健学科で臨床検査技術科学を専攻。卒業後、千葉県内の病院で臨床検査技師として働いた後、2011年に信大付属病院臨床試験センターに転職。治験コーディネーターとして活躍する。
県内で定期的に開かれるプレゼンイベント「ぺちゃくちゃないとNAGANO」やノウアーズ企画のプレゼンイベント「BARシリーズ」に出演するなど、あまり表に出てこない「治験」の世界について、積極的に情報発信してきた。
「医療の世話になるのは突然の場合が多い。普段から医療に対して意識を持ち、少しでもいいから知識を得ておかないと、いざというとき医療者の話が理解できない」と指摘。「参加の敷居を低くすべく、ライトニングトークにして娯楽性を高めている。気軽に参加し、世界を広げてほしい」と話す。
「メディカル-」を主催する団体「メディカル・ウォリアーズ」を立ち上げた長谷山さん。ホームページを作成し、イベント中のやりとりを公開する予定。今後も多彩な医療者をプレゼンターに招き、医療者同士の交流を図りながら、一般の人にさまざまな医療情報を伝えたい考えだ。
午後7時半-9時半。参加費1000円。問い合わせは長谷山さんのメール(haseyama616@gmail.com)へ。
(松尾尚久)

ふるさとの記録伝える-大町市民ら提供の写真集刊行

大町市の市制施行60周年と旧八坂、美麻村の合併10年を記念した写真集「ふるさと大町」が、松本市の郷土出版社から発刊された。大町市九日町の塩原書店の塩原義夫社長(72)が「後世に残る記録を」と、市民に古い写真の提供を呼び掛け、同社の協力で実現。市制施行当時から現在までの暮らしぶりや文化が垣間見え、貴重な郷土資料に仕上がっている。
約60の個人や団体などから集まった写真は2000枚余。その中から昭和20年代から現在までの約400枚を厳選して掲載した。
1954(昭和29)年、大町、平村、常盤村、社村の1町3村が合併して誕生した大町市制施行記念の祝賀行事のモノクロ写真。昭和30年代の羽織姿で大町公園で花見を楽しむ婦人会の様子や美麻地区で盛んだった麻の生産風景、昭和20年代後半の信濃大町駅など、多様な写真がそろう。
地元の歴史家など有識者が提供者を訪ね、撮影した場所や経緯、時代背景を聞き取り調査。歴史的事実と合っているかなどの裏付けを取り、写真一つ一つに詳しい解説を付けた。A4判、232ページ。1冊9990円で、1500部発行した。
郷土出版社によると、郷土の記録写真集は他市でも出しているが、大町市のような1万世帯余の規模の市で1500部も発行する例はなく、大町を愛する市民の熱意を感じたという。
塩原社長は「多くの人の協力があって発刊できた。感謝の気持ちでいっぱい。次の時代を担う子どもたちにもぜひ手に取って見てほしい」と、市教委を通じ、市内小中学校に10冊を寄贈した。
注文販売だが、大北地域や安曇野市内の一部書店でも扱っている。問い合わせは郷土出版社電話86・8601
(高山佳晃)

「雨ニモマケズ」秋田でも-朗読「塩尻大会」開く団体がツアー

塩尻市広丘のイベント企画・でんでんアズマ(東俊行代表)はこのほど、「第1回『雨ニモマケズ』朗読秋田大会イン八郎潟~」参加と青森・三内丸山遺跡観光などを組み合わせたツアーを行った。参加者10人のうち、語りや読み聞かせ活動をしている中嶌きみ子さん(松本市中山)ら6人が「信州組」として朗読大会に出場した。
会場の八郎潟農村環境改善センターで、約300人の来場者を前に、東北各県や関東などから個人やグループ13組が趣向を凝らして朗読。信州組は開演ぎりぎりまで練習し、黒の上下の服装に豆しぼりの手ぬぐいを肩に、布草履を履いて登場。東さんのギター伴奏で、「雨ニモ」のパートを一人一人が心を込めて凛(りん)として読み、会場から大きな拍手がわいた。
賢治作品を長年読んでいるという美斉津陽子さん(塩尻市広丘)は「いっそう賢治の世界に近づけて幸せだった」と笑顔で話した。
東さん(62)は国家公務員時代、転勤で暮らした岩手県花巻市で賢治作品と東北の豊かな文化にふれ、信州と東北の交流を深めたいと「でんでんアズマ」を立ちあげた。毎年花巻市で開く「雨ニモ-全国大会」にはツアーで参加。2011年からは雨ニモ朗読塩尻大会を開いている。秋田大会は、昨年10月、八郎潟文化村協議会代表の佐々木英雄さんが準備のため塩尻大会を見学し、開催にこぎつけたという。
第4回塩尻大会は来年2月14日に開く予定。
(谷田敦子)