月別アーカイブ: 2014年3月

「そろばん」の人気、じわり回復

ぱちぱちと音を立てて計算をする道具「そろばん」。その姿を見る機会は少なくなったが、県内でこのところ、そろばん教室に通う子どもたちが増えている。教室でも「暗算」に力を入れたり、パソコンを使ったフラッシュ暗算を取り入れるなど、今の時代に合わせた工夫をしているようだ。
2010年10月に開いた松本市の和田西原そろばん・あんざん教室。和田と梓川で週2回ずつ、生徒を教えている。当初10人ほどだった生徒は現在、小学生を中心に40人ほどに増えた。
教室は、それぞれのレベルに合わせた進め方で1回45分。同じレベルの子ども同士、刺激し合って練習する姿も。苦手な計算が速くなりたくて自分から希望して通い始めたという芝沢小4年の三村優斗君(10、新村)は「計算が速くなって楽しい」と話す。
同教室では、日常生活で生かせる暗算に力を入れたり、希望者を全日本通信珠算競技大会(全国一斉に問題を解き順位を決める)などの大会に参加することで、分かりやすい目標を持てるようにしている。
主宰の櫨川(はぜかわ)岳男さん(45)は「計算が速くなるのはもちろん、自分との戦い、自分の限界に挑戦するのが魅力。教室で身に付けた集中力や我慢強さは、さまざまな場面で生かせる」と話す。
新学期を迎える時期とあって、問い合わせや体験希望者も多い。「計算力や集中力が付くように」と、母親の岡本利恵さんに勧められて体験に訪れた波田小3年の圭佑君(9)と、4月から小学生になる杏里ちゃん(6)のきょうだいも、「楽しい」と興味を示していた。
今は、そろばんを持たない家が多い。子どもたちにとって、祖父母の家にあるそろばんが「新しく珍しい物」といった感覚で、普段は身近にない分だけ興味を引くようだ。

全国珠算教育連盟長野県支部によると、珠算検定の受検者数は、約5万4000人と最高だった1982(昭和57)年以後、減少を続け、2007年には最低の4300人(暗算を含めた延べ人数は7000人)になった。その後、少しずつだが人数が増え、12年度は6400人(暗算を含め延べ8100人)だった。
中信地方は、そろばんを教える先生(講師)の世代交代がうまくいき、若い世代の先生たちも活躍しているという。
学校では小学3、4年生にそろばんの授業が少しあるが、教えることができない先生も多くなり、そろばん教室(塾)の講師が学校に出向き、珠算ボランティアとして出張授業をする動きが全国的に広がっている。
(田原利加子)

バイオリン製作者の荒井さん 12日に松本でコンサートを企画

松本市松原のバイオリン製作者荒井節男さん(66)は4月12日午後5時、バイオリニスト沼田園子さん(静岡県)とピアニスト蓼沼明美さん(東京都)の「ファイン・デュオ」コンサートを同市のまつもと市民芸術館小ホールで開く。東京から松本に工房を移して2年半になる荒井さんのバイオリンと、松本の土地柄を沼田さんらが気に入っている縁で、コンサートを企画した。
沼田さんと蓼沼さんは共に東京芸大音楽学部を首席で卒業、ファイン・デュオを結成し28年になる。沼田さんは昨年、第16回スズキ・メソード世界大会のアシスタントコンサートマスターとして松本を訪れた。
当日はベートーベン「バイオリンとピアノのためのソナタ第9番」のほか、武満徹「妖精の距離」など現代音楽も演奏する。
荒井さんは東京で会社員をしていた1979(昭和54)年、4歳だった次女美穂さん(38)がバイオリンを習っていたため、自分が作った楽器を贈りたいと独学で製作を開始。99年に会社を辞め「ヴァイオリン工房リューテリアアライ」を新宿区に開いた。2011年、松本に移住。沼田さんらとは東京のころからの付き合いだ。
荒井さんのこだわりは、パソコンの周波数測定プログラムを使い、板の振動モードを調整することで、組み上げた時の音響特性を名器に近づける作り方。
今回、沼田さんは演奏の一部で、1月23日に完成した荒井さんの新作バイオリンを使用する。荒井さんは「コンサートで新作楽器を使うのは音が安定せず心配もあるが、松本で披露してもらえて光栄。すてきな演奏家なので多くの人に聴いてほしい」と話す。
一般3000円、大学生以下1500円。荒井さん電話87・1955
(井出順子)

56年ありがとう 閉園の坂北保育園で7人が卒園

統合のため本年度で閉園する筑北村の坂北保育園(清水智香子園長、35人)は25日、最後の卒園式と閉園式を開いた。4月からは本城保育園と統合し、「筑北ひまわり保育園」が開園。7人を送り出し、前身から合わせて56年の歴史に幕を下ろした。
卒園式では卒園児7人がステージに上がり、絵を描いた巨大なアルバムで1年の出来事を振り返った。また成長の証しとして、縄跳びの2人跳びや竹馬を披露。来賓や保護者から喝采を浴びた。
関川芳男村長らも出席した閉園式では、園児全員が声を合わせて「たくさんの思い出をありがとう」と園に別れを告げ、「ともだち賛歌」を歌った。
卒園する市川冬弥ちゃん(6)は、得意のかけっこで1等になった「運動会が一番の思い出」。父の進也さん(36)は「保護者ともども楽しく過ごせた3年間だった。感謝しかありません」と話した。
清水園長は「地域の方々にも見守ってもらい、みんな伸び伸びと情緒豊かに育った。坂北保育園の名前はなくなるが、ここでの体験は心に残り続けるはず」と感慨深げだった。
統合後は未就園児を含め71人が利用する見込み。倍増する子どもに対応するため、園舎はこの後、給食室や未満児室の拡充を中心に本格工事を行う。
工期は5月の大型連休ごろまでの予定で、それまでは本城保育園を使う。本城はその後も園舎を残し、子育て支援センターなどとして活用する案がある。
坂北保育園は1958(昭和33)年、巡回保育を行う前身が発足。68年に現在の形で開園して以来、園舎の建て替えや改修を経ながら、本年度まで約1100人の園児を送り出した。
同村には旧3村に1保育園ずつがあり、子どもの減少などから13年6月、2園の統合が決まった。
(長岩将弘)

志学館高卒のYuReeNaさん楽曲が「みんなのうた」で放送へ

塩尻志学館高校(塩尻市)卒業のシンガー・ソングライターYuReeNa(ゆりーな、本名・武井友里奈)さん(20、東京都)のオリジナル曲「きみのほっぺ」が、NHK「みんなのうた」の4、5月の新曲に決定し、2カ月間放送される。4月30日に同曲が入ったCDの発売も予定。「大きなチャンスをもらった。全国の人に私の歌を聞いてほしい」と期待に胸を膨らませている。
昨秋、YuReeNaさんのライブをNHK関係者が鑑賞。歌声とキャラクターを気に入り「『みんなのうた』用の曲を作ってみないか」と打診した。
子どもから大人まであらゆる世代の人に自分の歌を聞いてもらえるチャンスと、早速、楽曲制作に取り組んだYuReeNaさん。まず頭に浮かんだのが高校時代に仲が良かった女友達だ。
彼女は在学中に妊娠、子どもを産み、退学した。重い責任を負って悩む彼女に、当時YuReeNaさんは、励ますことすらできなかった。そのもどかしさを「今なら歌にできる」と作ったのが「きみのほっぺ」だ。
柔らかな音に乗ったスローバラード。サビの部分は伸びやかでパンチの効いた高音で歌い上げており「たいせつなもの まもりたいもの こんなに近くにいるよ 幸せ ずっとずーっと」の歌詞は、友達の自分の子どもに対する深い愛情を代弁しているようだ。

岡谷市出身で、高校1年の時にNHKのど自慢の地方大会に出場し合格。全国大会に進出し、審査員をしていたオペラ歌手の森公美子さんから「あなたはこれからが楽しみ」と講評されたのが自信となり、プロの道に進むことを決意した。
東京に通って作詞作曲の勉強をしながら曲を書きため、卒業と同時に上京。その年には初のCD「Gloomy」を発売。首都圏を中心に年間約100本のライブ活動で、さらなるファン獲得を目指している。
所属事務所・ユニバーソウル(渋谷区)の与田春生社長(46)は「不器用なところはあるが、歌は大丈夫」と太鼓判を押す。YuReeNaさんは「ここまで順調と言ってくれる人もいるが、初CDを出してからの2年間は前進しているのか分からなかった。『みんなのうた』に決まり、形に見える結果が出た。周りの人に感謝したい」と話している。

【みんなのうた】 NHKのテレビ、ラジオで放送される5分間の音楽番組。オリジナル楽曲とアニメーションなどによる映像を制作・放送し、曲目は2カ月ごと変更する。1961年に放送開始。
(浜秋彦)

彩雲が春呼ぶ童画の世界(白馬村神城)

140327sikip太陽の近くで元気に泳ぐくじらの形をした彩雲。大空のカンバスにパステルカラーで描いた童画の絵日記の世界が広がる(ニコンD800E、ニッコールED80-200ミリ、白馬村神城)

三寒四温の白馬村神城で18日午後、童画の世界を連想させるような鮮やかな彩雲に出合った。
取材のロケハンで訪れたが、早朝からレンズ雲が時々浮かんでは消え、目線を奪われていた。昼下がりの太陽近くを移動するレンズ雲の縁がわずかに彩られたと思った瞬間、青空を飾るかのような彩雲に変わった。
淡いパステルカラーの雲は、まだ春浅く彩りが乏しい白馬村の四ケ庄平に春を呼んでいるかのように映る。眺めていると、彩られたレンズ雲の左の先端が急に上昇を始め、上にあるレンズ雲とつながった。「わぁ、くじら雲になった」。大自然の不思議さに感動しながら、童画の世界へ引き込まれてしまった。大空を泳ぐ虹色のくじら雲の物語は、約3分続いた。
気象用語辞典などによると、彩雲は大気光学現象の一つ。太陽の付近を通りかかった雲が、スペクトルの色に分かれて赤や緑などに彩られる。太陽光が水滴で回折して見える現象。似ているが虹や環水平アークは、太陽光が雲に含まれる水滴で屈折して見える現象。
昔から彩雲は、吉兆の雲とされ、瑞雲、慶雲、景雲、紫雲などとも呼ばれている。一期一会の彩雲との出合いに感謝しながら、カラフルなくじら雲を見送った。(丸山祥司)

熱い思いは変わらず 元FW小林陽介さんがサッカースクールコーチに就任

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09、10年シーズンにFWとして在籍した小林陽介さん(30)が2月、ユースアカデミー(育成組織)が未就学児向けに開くサッカースクールのコーチに就任した。JFL昇格にも貢献した俊足のストライカーが、再び山雅の一員として、ピッチ外での奮闘を始めている。
16日のホーム開幕戦。試合前、小林さんは運営スタッフの一員として、ピッチ脇を奔走していた。選手が練習のためピッチに飛び出してくると、アルウィンを揺るがすような大歓声が起きた。
昨年10月、J1鳥栖との天皇杯3回戦をスタンドで観戦したが、ピッチで歓声を聞くのは山雅の「敵」だった11年11月3日以来だ。
「ありきたりな表現だが、鳥肌が立ったし、胸に迫るものもあった。ファンの数、その熱気とも、僕のいたころよりさらに増しているようだった」。小林さんは2年半ぶりに感じたピッチの“空気”を、こう振り返った。

11-13年シーズンは、かつても在籍したJFLの横河武蔵野FC(東京)でプレーした。12年からは酒店でフルタイムの仕事をこなし、夜に練習。週末が試合のため、休日が取れない週も。大変ではあったが、サッカーができる喜びを感じ、充実した日々だった。
山雅からクラブスタッフとしての誘いがあったのは、横河の退団が決まって間もない昨年11月末。現役を続けたい気持ちもあり、「かなり悩んだ」と明かす。
「例えばJでバリバリ活躍していたら、もっと強く現役にこだわっていたかもしれない。でも、横河に移ってすぐ娘が生まれ、いつ辞めることになっても悔いのないように-との意識を常に持ちながらやってきた」。引退後もサッカーに関わる仕事をしたいと考えていた小林さんにとって、熱意ある打診は響いた。妻の後押しもあって、心を決めた。
松本への2度目の引っ越しは、2月の2週にわたった記録的大雪の狭間だった。「荷物を運び終えたと思ったらまた雪が降り、東京との交通が断たれた。すごいタイミングで、松本に歓迎してもらえたと思うことにした」と笑う。

横河時代の11年にスクールコーチを手伝っていたものの、本格的に「教える」経験は初めてだ。「分かりやすく言葉で伝えることの難しさを感じる。悩むことも多い」という一方、「指導者という立場はものの見方が変わる部分があり、自分も成長できる。何よりサッカーに関わっていられることは幸せ」と、つらさはない。
会社には柿本倫明さん(現クラブアンバサダー)や小澤修一さん(現広報)らかつてのチームメートがおり、選手時代から知るスタッフも少なくない。
「今はコーチの仕事で精いっぱいだが、これから他の仕事も覚えていく中で、彼らの存在は心強い。そういう意味でもここで良かったと感じる」

JFL昇格を決めた09年12月6日のアルウィン。自ら逆転ゴールを挙げて浴びた歓声や、試合後に歌った凱歌(がいか)「勝利の街」を、「一生忘れられない」と小林さんは言う。
チームの目指す先も自分の立場も変わった。しかし、チームのために自分の場所で力を尽くすという思いは変わらない。
「指導者として、もっとレベルアップしなければという思いもある。さまざまな目標があるので、まずはそれらを着実にクリアしていきたい」。はつらつと語る小林さんの第二のサッカー人生は始まったばかりだ。

こばやし・ようすけ 1983年、東京都生まれ。J1浦和(02、03年)、横河武蔵野(04-06年)、熊本(07、08年)を経て、当時北信越1部だった山雅へ。公認C級コーチライセンス所持。現在は妻、長女と松本市内で暮らす。
(長岩将弘)

気仙沼へ応援旗と生そば送る 松川村の有志が支援続ける

松川村の村青少年育成村民会議育成活動部会とシンデレラ農園そば生産組合はこのほど、宮城県気仙沼市のリアスアーク美術館内のレストラン・キッチン・スペース夢の舎(や)へ、横7メートル、縦2メートルほどの布製応援旗と生そばを送った。東日本大震災発生後から支援しており、今後も継続していくことにしている。
送った応援旗は、育成活動部会が2013年9月に行った活動「何でもチャレンジ2013」の中で制作した2枚のうちの1枚。村内の保育園児と小学生、その親の計28人が、絵の具やカラースプレーで寄せ書きした。「忘れまい3・11/3・12がんばれ絆の花はなハナ」という言葉の周りに、さまざまな花を描いてある。
そばは、村内の温泉施設などに卸している生産組合のメンバーが、当日早朝から村産そば粉を使って60食余り打った。夢の舎で振る舞われ、応援旗も披露されたという。

生産組合が観光案内施設「セピア安曇野」内でそば店を営業していた2008年ごろ、夢の舎を運営するNPO法人リアスの丘グループの代表者が訪れたのが、縁の始まり。同NPOは食や福祉に関する事業をしている。
この時点で交流はなかったが、大震災が起こり、名刺を頼りに連絡したところ、大変な状況だと分かったため、夏野菜が取れるようになった7月から毎月のように米、野菜、衣料品を送るなど支援。回数は減らしたが、現在も物資を送り続けており、応援旗の送付につながった。
生産組合の三原良子さん(64、松川村中部)は「これからも窓口になるので、現地に送る支援金なども協力してほしい」と話した。
問い合わせは村公民館電話0261・62・2481
(田原富美子)

笑顔のノート 松本・塩尻の園児2070人に

園児一人一人の笑顔の写真を表紙にしたノートを贈る松本平の有志の活動が今年も行われ、20日は松本市南原2のやよい保育園で卒園児に手渡された。園児や保護者は世界にたった一つのオリジナルノートを受け取り、笑顔を見せた。
B5判で「STARNOTE(スターノート)」と名付け、表と裏に園児の笑顔のモノクロ写真を施した。中身は無地の40ページ。
デザイン会社・創造社(松本市宮渕)グラフィックデザイナーの加藤竜也さん(45)が12年前、当時6歳の長女にプレゼントしたノートがきっかけで松本平に広がり、今年は全国21地域、214の保育園で2万人に贈られた。
松本平では声かけに賛同した同市と塩尻市の22園2070人の笑顔がノートになり、各園で随時配布。やよい保育園は卒園式後に開いた謝恩会「ありがとうの会」で贈呈。保育士が一人一人に手渡すと、園児は恥ずかしそうにノートを眺め、大切そうに持ち帰った。
保護者の鎌倉亜香里さん(松本市波田)は「各自の笑顔はその子だけの表情なので記念に残りますね」、長女の恵音ちゃん(6)は「ノートには楽しい絵を描きたい」。
有志の仲間で撮影にも協力した写真スタジオ内藤城松本支店(同市平田東)の山口昭二マーケティング部長は「笑顔で地域が元気になるし、子どもも自尊心を育むきっかけになる。どんどん広がってくれればうれしい」と話した。
(井出順子)