秘めた思い 3選手の今シーズン

J2昇格からわずか3季で、悲願のJ1昇格を成し遂げた山雅。「どの選手もかけがえのない存在。その集合体が大きな成果を生んだ」-昇格を決めた39節・福岡戦後に反町監督が話したように、経歴や境遇は違えど、あらゆる選手が努力を重ね、力を尽くした。それぞれの思いを秘めて戦い抜いた3選手の今シーズンに迫った。

【鐡戸裕史-自分に何ができるのか】
同一クラブで地域リーグからJ1昇格までを経験した選手は、おそらく鐡戸以外にいまい。
山雅で迎えた実に3度目の「昇格」。16番を背負って6季目のチーム最古参は、その瞬間をピッチ上で迎えた。号泣し、仲間とがっちり抱き合って、過去2回の昇格とは少し違う戦いが実った喜びを爆発させた。
北信越リーグ1部だった09年6月に加入。豊富なスタミナや高精度のキック、多彩な攻撃のアイデアなどを武器に、主に左サイドバックとして主力を担い、JFL、J2への昇格に貢献した。
J2参入初年の12年は37試合に出場したが、同ポジションを争うライバルが増えた昨季は22試合に減少。特にシーズン後半はベンチ入りさえ思うようにかなわず、「ネガティブな時期を過ごした」と振り返る。
だが、ある時に気づいた。「出られないからチームに貢献できない-では、選手としてここにいる価値はない。お金を払って見に来て、応援してくれる人たちがいるのは、とても幸せなこと。昨季を繰り返してはいけないと思った」
出られないときに何をするのか。チームの一員として何ができるのか-。飯尾和とも相談し、行動に移した。
普段の練習から決して手を抜かず「ゆるさ」を見せないのはもちろん、公式戦の翌日に行う控え主体のトレーニングマッチでも積極的に声を飛ばし、「公式戦のような雰囲気づくりや、公式戦と同じプレーの質を追求したつもり」。
ベンチに入れば、ロッカールームで出場メンバーにタオルを配ったり、あおいで熱を冷ましたり。「いい雰囲気をつくってくれた」と、飯田をはじめ何人もの選手が、鐡戸の献身を証言している。
その飯田とともに故・松田直樹さんの墓参りをしたのは、最終節前のオフの日。J1昇格を報告しながら「『山雅を全国区にする』というマツさんの願いは、まだ達成していないと思う。これからも自分がやれることをやっていく」と、新たな挑戦を誓った。
補強も見込まれ、来季のレギュラー争いはさらに厳しくなるであろうことは覚悟の上。「ピッチに立つことを目指すのは当然として、自分に何ができるかを常に考え続けていくのは、その先の人生にもプラスになるはず」。最終節を終えてなお、鐡戸の表情は引き締まっていた。
(長岩将弘)

【岩沼俊介-1対1勝負にこだわり】
昨季は不動のボランチだったが、今季第4節からポジションを左ウイングバック(WB)へ変更。「複数のポジションをできるのが自分の強み」との言葉どおり、新たな“職場”で安定した仕事ぶりを見せ、チームの躍進に大きく貢献した。
守備時は最後列まで下がり、攻撃時は最前線まで駆け上がるWB。CB、MF、FW、すべての選手たちとコンビネーションを組みながら上下動するため、体力のみならず、高度な戦術眼が必要だ。
その中で、岩沼がこだわったのは「1対1」の勝負。ボールを奪う、相手の攻撃を遅らせる、相手の攻撃をサイドへ追いやる、正確なクロスボールを上げさせない…。派手さはないが、岩沼がサイドを制することで、中で構えるCB、MF陣が助かり、試合の行方を左右した。
1対1の強さは日ごろの練習で磨いた。「なんといっても、紅白戦の相手が山雅の選手だから。最後まで全然動きが落ちない。毎週すごく鍛えられた」
けがで9月に3試合欠場。「全試合出場を目標にしているので、すごく悔しかった」が、けがが治ると、反町監督はすぐ岩沼をピッチへ送り出した。「『やれ!』という強いメッセージを受け取った。プレーで返すしかないと思って戦った」
12年のJ1札幌時代に30試合出場。J1のサッカーを肌で知る数少ない選手の一人だ。
「無理に攻めきらないのがJ1。守備の隙ができるまでじっくりパスを回し、ワンチャンスを決めてくる。我慢する時間帯が増えるだろう。でも、最後まであきらめずに走り切って戦う『自分たちの形』が出せれば大丈夫。走力や球際の強さなどを泥くさくやっていくことが大事」
昨年、他のJ1チームから声がかかる中で山雅へ来た。サポーターやアルウィンなど、数多くのやりがいを感じての決断だったが、「もっと成長したい」と飢えていた岩沼にとって、反町監督の存在も大きかった。
「反町監督の下なら成長できると思った。まだあらゆる面を伸ばさなきゃいけないし、伸びると思っている。来季は3年ぶりのJ1。自分がどれだけ成長したか試したいし、サポーターにそのプレーを見てほしい」
(松尾尚久)

【山本大貴-鍛えられ多くを学んだ】
J1昇格を決めた決勝弾は、今季途中加入した大卒ルーキーの一撃だった。後半26分、船山からパスを受けると落ち着いてボールを運び、左足を振り抜いた。「あの時は妙に冷静になれた」と、山本は振り返る。
その10分ほど前、ピッチ上で「しっかりしろ」と、田中に頬を張られていた。冷静になれたのはそのためか。問うと「どうでしょう」と苦笑し、「でも、これまで半年の間に、このチームで得てきたものも大きかったと思います」と、力を込めて答えた。
熊本県出身。地元のルーテル学院高では、3年時に主将として出場した全国高校選手権で得点王。進んだ駒澤大でもエースとして活躍し、世代別代表の経験もある。
しかし、入団したJ1仙台では5月以降、試合から遠ざかった。攻撃陣の故障が相次いだ山雅の誘いを受け、移籍したのは6月初め。「試合に出て経験を積みたかった。ほぼ即答だった」という。
反町監督からは試合後の記者会見で「ダメ出し」をされることもしばしばだが、厳しさは期待の裏返しでもあるのだろう。
「意識が高まり、プレスバックもできるようになってきた」と指揮官が一定の成長を見て取れば、田中も「俺は言ってもできないやつには言わないから」と期待をかける。
その田中ら、ベテランから多くを学べたことも収穫だ。田中が右膝のけが(半月板損傷)を周囲に明かさずプレーをしていたことを知り、「尊敬し直したし、そういう背中を見て、自分ももっとタフにならなきゃいけないとも思った」。
一方で、プロ選手としての喜びを知ったのも山雅だった。「チャント(応援歌)をつくってもらったのは初めての経験だったし、結果が出せない時も声を枯らして応援してくれた。めちゃくちゃうれしかったし、支えられた」と、ファンへの感謝を明かす。
アルウィンでの最終節でもゴールを決め、過去最多の大観衆の前で成長の一端を示した。「(クロスを上げた岩上)祐三君のボールがよかっただけ」というものの、プロ初年で計7得点。確かな手応えをつかんだに違いない。
「山雅での全てが貴重な経験。精神面では鍛えられ、力不足ばかりを思い知り、それらも含めて、いいシーズンだった」。振り返る声音にも、半年前にはなかったたくましさがにじんだ。
(長岩将弘)