これからもハードワーク 育成スタッフ転身の小松憲太さん

150602yamp昨年7月、タイリーグに挑戦するため山雅を退団した塩尻市出身の小松憲太さん(27)が、ユースアカデミーの育成スタッフとしてクラブに戻り、3カ月余りがたった。タイでは苦しんだが、その経験を糧に、故郷のクラブで奮闘している。今の思いや手応えなどを聞いた。
「想像以上に難しい。教員免許を持っているし、大学まで主将を務めたので、自信はあったんですが…」と、苦笑する。
4月からは「独り立ち」し、未就学児から小学6年生まで、松本、諏訪、上田の3会場でクラスを受け持つ。
技術面はもちろん、育成と普及をどう両立させるか、心をつかみ、闘争心・向上心をいかにかき立てるか-試行錯誤の連続だ。
「大変だけれど、同じくらい楽しくもある。勉強して、反省して、毎日必死です」

タイリーグ2部のアユタヤFCに移籍したが、タイ独特の「マイペンライ(気にしない)」文化に、ピッチの内外で振り回されることになった。
特に「精神的にも苦しかった」と振り返るのが、シーズンが終わってアユタヤを去ることになり、選手寮を出た後の12~1月だ。
安ホテルを拠点に、入団テストを受ける日々。現場で契約する、大丈夫だと言われても、期日に契約書類が届かない。問い合わせると、やっぱりクラブ首脳陣が駄目だと言った-そんなことの繰り返しだったという。
「気持ちが先走った部分もあったし、タイのサッカー事情について調べ足りなかった甘さもある」とした上で、「サッカーをよく知らないフロントが外国人に求めるのは、規格外のフィジカルや派手な個人技といった、分かりやすさだった」と小松さん。「結局、サッカーに関しては、自分は合わなかったということでしょう」
移籍期間が終わる1月28日も過ぎ、「タイでだめだったら引退する覚悟だった」と決断した。
それでも「後悔はゼロではないが、多くのことを学んだ。精神面で変わったと実感する」と、前向きに振り返る。

2月に帰国し、山雅へあいさつに訪れた際、指導者としての誘いがあった。
もともと海外挑戦の大きな理由も、引退後、個人スクールを開く資金をためるため。幾つか選択肢はあったが、指導者として最も成長できるであろう道を選んだ。
「実際にプレーで示しながら指導をしたい」との考えから、身体面のコンディションを保つ。トップやユースの練習に加わるほか、社会人チームに身を置き、国体にも県代表として出場予定だ。
「もういいと思ったけれど、こういった環境にいると、プレーもしたくなるんです」とぽつり。では現役復帰も-と問うと、あいまいに笑い、「どうなるか分かりませんが、いろいろな選択肢をまだ消さないよう、心身を整えておきたいと考えてはいる」。

自身のいない半年間で、クラブをとりまく環境は激変した。「J1の中ではまだ小さなクラブだが、街を挙げての盛り上がりはすごくいいところ。むしろ胸を張って、独自の輝き方を探していっていいのでは」と話す。
「育成は未来のチーム力につながるし、地元からトップ所属選手がたくさん出れば、地域ももっと元気になる。まだまだ新米コーチですが、そんな選手を輩出する手伝いをしたいですね」
代名詞のハードワークで、山雅の力になる決意をにじませた。
(長岩将弘)